七草の日、ピリオド新年初ミーティングを開催。『菊名「川」物語』第1章の発表に向けての準備の準備・・・をしました。
映像の資料となるような何冊かの郷土史に関する本をぱらぱらとめくりました。まだまだ「発掘」するに足る情報があるようです。
私は『横浜の町名』(横浜市市民局発行)に記されている町名の由来に注目しました。この本は多くの史料を典拠にしているので、信頼できる資料です。
「菊名」は「ククナ」の転化で、奥まったところを意味する古語。谷状の場所を表している。まさに、川、沢、水が付きものの場所。この情報は何らかの形で『菊名「川」物語』に使いたいと私は思いました。
ところで、太尾町が今年中に「大倉山」に町名変更するそうです。
住居表示の適用にあたって、「太尾」と「大倉山」を候補にして太尾町の住民にアンケートをとった結果、多数決で「大倉山」になったよう。商店街の意見が強かったようです。
「大倉山」は昭和初期に「大倉精神文化研究所」ができてから、「太尾」から変わった東横線の駅名ですが、公園の名にはなったものの町名にはなりませんでした。「太尾」は、大きな(太い)尾根を表す地名。
(私は太尾町に10年間住んでいたので、太尾の名には愛着があります)
地名は言霊。地形を表す地名が消えてしまうのは、人々が自然から離れることと結びついているように私は思います。 (悠歩)
2007年01月08日
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ここは酷い大倉山ですね
Excerpt: 太尾か大倉山か、住居表示めぐり賛否両派が舌戦/横浜 : ローカルニュース : ニュース : カナロコ -- 神奈川新聞 http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/..
Weblog: 障害報告@webry
Tracked: 2007-10-16 23:38
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ここは酷い大倉山ですね
Excerpt: 太尾か大倉山か、住居表示めぐり賛否両派が舌戦/横浜 : ローカルニュース : ニュース : カナロコ -- 神奈川新聞 http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/..
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「新編武蔵風土記稿」も「横浜の町名」の典拠史料の一つになっています。
『横浜の町名』は1982年(昭和57年)に初版が、1991年(平成3年)に改訂版が発行されています。
記事に書いた菊名の地名の由来(語源)については初版に書かれているものですが、改訂版を見ますとこの記述は見当たりません。
初版の「ククナ」の記述の典拠は、今手元に本もコピーもないので確かめられませんが、今日職場から借りてきた改訂版には『新編武蔵風土記稿』の引用があり、これには『小田原家人所領役帳』にこう書いてあるということが載っています。これを読む分には、なぜ菊名がキクナなのかはわかりません。
『新編武蔵風土記稿』は江戸時代の土地の様子がわかる史料で、私も一部読んだことがありますが、地名の由来はあまり書いてありません。
地名の由来は、史料を複数渉猟してやっとわかるようなことで、これを読めばわかるというものでもないんですよね。
『横浜の町名』は数々の史料を引用していますが、初版と改訂版とで記述が変わった理由はよくわかりません。
知りたいですね。
「港北歴史地名ガイドマップ」(2006年2月刊)には、?@三浦の菊名一族の開発?A蓮勝寺の山号「菊名山」からの二説を挙げていますね。
『横浜の町名』1982年(昭和57年)の改訂の経過わかる方さがしたいですね。
太尾について、
大倉山ひいては大倉精神文化とは何か、
検討したいですね。
時間がない!!
知りたいですね。
「港北歴史地名ガイドマップ」(2006年2月刊)には、@三浦の菊名一族の開発A蓮勝寺の山号「菊名山」からの二説を挙げていますね。
『横浜の町名』1982年(昭和57年)の改訂の経過わかる方さがしたいですね。
太尾について、
大倉山ひいては大倉精神文化とは何か、
検討したいですね。
時間がない!!
地名の件、もっといろいろお話を伺いたいです。
まずはお礼を申し上げます。
地名のことはこれからまだたくさん調べなくてはなりません。
今後ともよろしくお願いいたします。
ピリオドは菊名を中心に活動しておりますので是非とも定例会などにもお越しください。
大倉山の件、まったく同感です。
いろいろお教え頂きたいこと、お話ししたいことがございますので、ぜひ一度お会いしたいと存じます。
歴史地名、地形など自然に由来する地名は「言霊」を含んでおり、安易に変えてはならないと私は思っています。
《菊名「川」物語》は私の命名ですが、地名と自然にまつわる物語をさぐりたいというのがその心です。
重ねて、皆さんの「横浜の町名」の初版の記述に関するご意見と、疑問、卓見に敬意を表します。
お世辞ではありませんが、この話を某著名なKという地名研究家にしたら、「さすがに横浜はレベルが高い、その辺の「地名学者」よりずっと問題点が分かっている」、との意見でした。私も同感です。
ご近所ですから、いつでもどこでも出て行き意見の交換をしたいと思っています。どうかよろしくお願いします。なお私の近刊は「中国・食地名の雑学考」(田畑書店)というもので、ご興味あるかたには部数に限りがありますが、差し上げます。まあ食と地名についてのヨタ話集です。
先日の定例会でこのコメントのことを話しました。
本当にお近くということで皆お会いしたいと思っております。
今週(2/3)は都合で定例会は中止になりましたが、来週2/10土曜日午後7時から定例会を予定していますのでご参加いただけましたら幸いです。
会場は以下YNETのマップをご覧ください。
http://ynet.jp/infomation/ynetinfo.html
ちょっとこの欄に書きすぎたかなと思いますが、まあ言いたいことは言ったほうが、言わないよりいいというのが基本的な考えですから。前に書いた私の本の名前間違っていました。「中国・食と地名の雑学考」(田畑書店)が正しいです。すみません、宣伝で。菊名周辺の字(あざな)の資料はお持ちですか?昨年、港北区の研究会が印刷しました。
書き込みが多いことは歓迎です。
菊名周辺の字の資料などいまいろいろ収集中です。
参考になりそうなものがございましたら教えてください。
土曜日楽しみにお待ちしております。
昨日申し上げた、マンションの名称についてですが、2005年の11月に公正取引委員会はマンションの名称についての自主規制を承認しています。それによると、マンションに名前をつけるときは最寄の駅名を使用する。公園などの名前を使うときは、公園などから300メートル以内とするというものです。これを守ると、マンションの名称は今後、大倉山公園や大倉山駅からの距離が問題になるでしょう。しかし町名を変えればこのような問題はなくなるのでしょう。新しいマンション名は、公園や駅の名をとったのでなく、町名からだと主張できるからです。こんど南や南西に広がった町名としての大倉山の向こう側(川向こう?)でも「大倉山」をつけたマンション等が出てくるかもしれません。東の鶴見区内のまですでに広がっている「大倉山」の名はこうして東西に広がるのです。そのくせ大倉山公園の北半分は「大倉山」(町名)ではないし、駅のすぐ東もまたそうではないのです。たまたま住住居表示がいつ行われたかによって、こうして恣意的に町名が決定されるのは定見がないエゴといってもいいと思います。
東横線と相鉄との接続が計画されているそうですが、東横線側が菊名になるのか大倉山になるのか知りませんが、近くに新駅ができると、当然最寄の駅はそこになる場所が出てくるので、この規定にひっかっかる可能性もあります。不動産業者は当然そのくらいは考えているでしょう。地名、町名はさまざまな要素を含んでおり、当局はそのようなことも含めて検討し、資料が住民等に提供され、法律の趣旨を伝えるべきです。「住居表示に関する法律」は昭和42年に一部改正されましたが、「一部の市町村に従来の名称と縁もゆかりも名称をつける等、必ずしも適正とは言い難い事例も見受けられたことにかんがみ、(中略)、当該町区域を定めた場合には、当該町区域の町名等はできるだけ従来の名称に準拠して定めなければならないことを基本とし、これにより難いときに限って、できるだけ読みやすく、かつ簡明なものにしなければならない」という自治省の通知が昭和60年7月3日に出ています。昭和42年の趣旨が守られないので、60年に再改正されたのです(法5条?A)。法律では「これにより難いときは・・・・」なのです。しかも「読みやすく、簡明なもの」と法では規定しているのであって、従来の名称が読みにくかったり、簡明でなかった場合に限っては変更可能と、読むことも可能でしょう。太尾は「より難く」でもなく、読みにくくもなく、簡明でないこともないでしょう。当局はそのような諸問題を指導的な立場から説明し、アンケートなりなんなりを実施しなければいけない。コンプライアンスの問題です。住居表示審議会には法律家も出ていますが、この法律の趣旨をしっているのでしょうかね。知っていたら審議会で何か発言すると思うのですが。何度も言いますように、住居表示に関する法律は、「嫌いな町名を好きな町名に変更する」のが目的の法律ではないのです。乱れた地番などを整理、合理化して国民の生活に益するのが目的であるのです。しかも今度の「太尾町」→「大倉山」の町域は重なっており、ほぼ完全な町名の交換、新命名なのです。これは明らかに法の趣旨を逸脱しています。いやなら法律を変えればいいのです。昭和42年、昭和60年の法改正時には、住民運動、国会議員連盟の組織化などを経て実現しました。住民運動が法を変更させるには大変なエネルギーが必要です。どうしても「大倉山」に変えたいのなら法律を変えるべきです。町名は住民の好みによって自由に変えられるという法律です。まあそうなったら近所の町との大喧嘩でしょうね。だから国や市町村には、指導的な位置からの管理や法の制定が必要なのであって、その法律通りに行われないことには、住民はもっと意見をいうべきでしょう。この「太尾」→「大倉山」問題は、一冊の本が書けるくらいいろいろな問題点を含んでいますね。施設名を駅名にすることの反省は、学芸大学、都立大学で実証済みでしょう。どうちらも町名にはならなかった。学校はもうない。都立大学などは名前も変わった。妙蓮寺も町名にはならなかった。商店街の名称等は好きにつければいい。でも地名、町名はもっと「高尚かつ絶対的な」ものでしょうが。違いますか?「太尾」は恐らく、1000年くらいの歴史があるのではないでしょうか。「大倉山」はたかだか昭和の初期からですから、80年くらいのものでしょう。どっちが「重い」存在でしょうか?それを本当に消してしまっていいのですか?一時の流行で地名は着せ替えるものですか?ニューヨーク、パリ、ロンドン、北京、地名変更は革命か、被占領地域くらいしか変えないのはなぜか、歴史が断絶するからでしょう。歴史の断絶を自ら求めるのは、ほとんど世界的にも例がないでしょう。いっそのこと「横浜市」も「ペリー市(南アルプス市のまね。)」か「南東京市(西東京市のまね。)」、「高島市」(高島嘉エ門にちなんで。大倉山のまね。)にしては?それとも中田市(市長の名前をとって。)?
菊名のみなさん!あなたも「菊名」より、南大倉山にでも駅名も町名も変更したいですか?
ポーランドが国としての力が弱く、東側がソ連に長い間占領され、地名もロシア化ていたころ、ポーランド人はひそかに村々の地名を記録し、将来に備え、戦後、東側の地域が戻ってきたとき、地名の復活をしたそうです。「地名を守る」ことは、自分のアイデンティティーを守ることです。
そのような気概を持つことが、自分の社会における位置や、郷土への理解を育て、地域や隣人に対する愛情が培われるものと信じます。
今日は横浜地名研究会の例会に参加の予定です。すみませんいつも長くて。
今度、菊名の駅名や町名を変更を、さっきの「南大倉山」以外に、「東新横浜」というのも候補にして提案したらどうかと思いました。これはもちろん本心ではありませんが、住民投票をしたら決まるかもしれないと考えると、おそろしい国です。私たちの姓は嫌いだからといって勝手に変えられません。地名にもそのような要素があるにもかかわらず、また法律にもそのような趣旨があるにもかかわらず、守られていないのが現実でしょう。菊名という地名がどのくらい長い歴史や意味をもっているのかは解明されていません。しかし、個性的で覚えやすい地名であるのは間違いない。菊名という地名がその地形を表象し、みなさんがやっておられる「川」の発見と、理解につながるとすれば、「キクナ」は、その土地に必然的に名付けられた、土地と不可分の名であると思います。悠歩さんが書かれた「言霊」にもつながることでしょう。「キクナ」はおそらく谷の地名です。大口はやはり谷の地名です。ツルミ(鶴見)は、川の地名です。横浜は浜の地名です。それぞでがその後の歴史を表象している、必然とも呼べるような個々の歴史を背負っていると思います。これに「言霊」がこもっているのではないかとも思います。「浜」だから地盤が弱く関東大震災でも大被害が出た。谷や川だから出水もある。いいことも悪いことも、地名が背負っているのだと思います。
このスレも長くなりましたので、10日に新しい投稿を入れました。
またこちらでも地名の話を続けましょう。
当方は旭区在住、地名研究歴27年。いわゆる地名研究学者の説はとりません。古事記の地名譚をみれば 文献の記述がどれほどのものか 直ぐにわかる。
8年前、当地区創立30周年記念紙編纂時に地名考を担当し下記論考文を作成提出したが一蹴され、俗説が掲載されました。私説は多少なりとも客観性はあると自負しております。ご感想などいただければ幸いです。
「本宿」地名考(旭区本宿町)
「宿」地名は各地に多数存在するが、その語源については字義から駅宿・宿場とする説が一般的である。しかし、はたして正しいといえるのであろうか。
下表は全国2万5千分の1地形図掲載すべての「宿」地名のうち7種について県別分布を表示したものである。県面積には大小があるため平均県面積として換算したのが補正値。
この表から次のことが読み取れるであろう。
(1)茨城は突出しており、「宿」地名の中心地。
(2)次いで埼玉・千葉・神奈川が濃密地帯。
(3)さらに栃木・群馬・東京とつづく。
(4)福島以北はやや希薄。
(5)青森以北にはまったく存在しない。
(6)甲信越以西は極めて希薄。
もし「宿」地名の語源が駅宿・宿場を意味するならば全国に均一分布するはずである。したがって「駅宿・宿場」説はただちに否定できる。茨城を中心とした何らかの文化圏があって、かつ青森以北が異文化圏(例えば蝦夷地)であった時期に発生した地名といえるのではないか。
駅宿の意味でないならば、「宿」地名はその字音「シュク」に本義があるとみる。ではそれは何か?
これを解くためにはいくつかの予備知識が必要である。
第一は東国方言圏の特定。奈良時代、畿内が東国方言であったことをうかがわせる材料はいくらもあるが、その例を一つだけあげる。
琵琶湖北部に浮かぶ竹生島(ちくぶしま)の島内に都久夫須磨(つくぶすま)神社がある。〈ち=つ〉〈し=す〉の音韻対応がわかる。
共通語で〔シ・チ・ジ〕と発音すべきを〔ス・ツ・ズ〕と発音する方言をズーズー弁というそうだ。ズーズー弁では寿司・獅子・煤は同音で「スス」、土・乳・父も同音で「ツツ」となる。竹生島(ちくぶしま)を都久夫須磨(つくぶすま)に字音表記したのは近江の地でズーズー弁が行われていた動かぬ証拠といえよう。
また福田良輔は『奈良時代東国方言の研究』において、武蔵を含めた関東・東北地方の東国方言と中央語との音韻差異を詳しく論じている。古き時代、本宿の地が東国方言圏であったことは間違いない。
第二は川の呼称ゴ・ゴウの存在である。河内は普通ゴウチに読まれる。小河内オゴウチ(東京都北西端)など。ゴウとは河・川の意です。現在でも種子島以南の島々では川をゴ・ゴウと称している。川の字を重ねた「〜川川」を「〜ゴ・ゴウ川」「〜コ・コウ川」と呼ぶ例は九州から長野・福井まで散見できる。現代語のオ列音は上代語ではウ列音に対応するものもあり(野守ヌムリ)、コ・コウは上代にはク・クウではなかったか。
これらのことから宿シュクは〈シュ〉〈ク〉に分解でき〈シュ〉は〈サ〉の訛音で少・狭の意。ク=コで川の意。即ち宿とは小川を意味するのであろう。
以上をまとめると、宿(シュク)は佐久・作サクと同語であろう。本宿と桐ヶ作が隣接して、それぞれが二俣川と今井川の源流部を形成する所以と考える。
「宿」地名の県別分布表(全国1/2.5万分地形図の全地名)
・・・・・・・・・・宿・・上宿・・下宿・・中宿・・新宿・・古宿・・本宿・・合計・・補正値
青 森・・・・・0・・・・0・・・・・0・・・・・0・・・・・0・・・・・・0・・・・・0・・・・・0・・・・・・0
秋 田・・・・・4・・・・4・・・・・1・・・・・1・・・・・0・・・・・・0・・・・・1・・・・11・・・・・・6.1
岩 手・・・・16・・・・4・・・・・5・・・・・4・・・・・0・・・・・・1・・・・・7・・・・37・・・・15.5
山 形・・・・・6・・・・7・・・・・5・・・・・2・・・・・2・・・・・・0・・・・・2・・・・24・・・・・16.5
宮 城・・・・16・・・・2・・・・・2・・・・・1・・・・・1・・・・・・2・・・・・1・・・・25・・・・・21.9
福 島・・・・10・・・・2・・・・・4・・・・・0・・・・・5・・・・・・2・・・・・0・・・・23・・・・・10.7
群 馬・・・・16・・・・4・・・・・5・・・・・3・・・・・4・・・・・・0・・・・・5・・・・37・・・・・37.2
栃 木・・・・20・・・・1・・・・・3・・・・・1・・・・・6・・・・・・2・・・・・1・・・・34・・・・・33.9
茨 城・・・・49・・・29・・・・23・・・・11・・・・11・・・・12・・・・・5・・・140・・・148.4
埼 玉・・・・18・・・11・・・・13・・・・・4・・・・・4・・・・・・0・・・・・5・・・・55・・・・・92.6
千 葉・・・・27・・・10・・・・・7・・・・・2・・・・10・・・・・・2・・・・・0・・・・58・・・・・72.2
東 京・・・・・5・・・・1・・・・・0・・・・・・1・・・・・3・・・・・・0・・・・・2・・・・12・・・・・35.6
神奈川・・・11・・・・3・・・・・5・・・・・・1・・・・10・・・・・・1・・・・・2・・・・33・・・・・88.0
その他・・・32・・・15・・・・12・・・・・9・・・・・10・・・・12・・・・・3・・・・93・・・・・・・3.0
合 計・・・230・・・93・・・・86・・・・40・・・・60・・・・34・・・・34・・・582・・・・582
消去するにはどうすればよいのでしょうか?
横浜は全国をみると少なくみても下記11件はある。それらで「横=長い」と普遍的に言える? 県の次は2万5千分の1地形図名。
1.青森)陸奥横浜
2.福島)泉先
3.福井)杉津
4.愛知)半田
5.和歌山)湯浅
6.広島)吉備
7.広島)三成
8.高知)田野浦
9.福岡)椎田
10.熊本)大江
11.山口)徳山
重複は削除いたしました。
また、本文に○数字など機種依存文字が含まれており、
一部表示が正しくされませんので修正いたしました。
大変興味深い内容です。ありがおうございます。
『新日本地名索引』(金井弘夫編、全国1/2.5万分地形図全地名収録)の「〜名」地名は350〜400個を数える。
「上名」11個、「中名」4個、「下名」9個。地名「〜名」の修飾部に上中下があることは、それが名詞であることを示唆するでしょう。
県内には川名・田名・菊名(三浦市)もあり、これらを勘案した地名考でなければ説得力はない。
今日あらゆる地名研究は標準語で解こうとするが、標準語は明治以降であり、それ以前はお国言葉時代であった。地名もまた「お国言葉」で表記されたはずだ。
山形県「米沢」、福島県喜多方市山都町早稲谷「与内沢」は両方とも現地の人々は「ヨネージャ」と言うそうだ。故に与内沢=米沢を主張する学者もいる。するとnay→ne−。nay→na−もありかな。
落語家 林家こん平は出身地 新潟県川羽郡「千谷沢」村を「チャーザー」村と言っている。友人に茶谷チャタニという者がいるが、「千谷」と「チャー」とでどちらが元か分らぬ。
アイヌ語地名がある。知里真志保や山田秀三はアイヌ語地名帯とは「それが濃密に連続して存在する地域」と定義している。濃淡は程度問題。多少希薄でよければ関東も間違いなくアイヌ語地名帯。
栃木県大田原市を蛇尾川(サビ川)が流れる。見事な水無川です。本件について故山田秀三先生とお話する機会があった。アイヌ語でsat-pi川 とは「乾いた小石川」の意。まさにピッタリの川名です。先生もアイヌ語だろうとのご見解であった。蛇にサ音はないので、サ音をジャに訛り蛇を当てたのだろう。「千谷沢」→「チャーザー」や「与内沢」→「ヨネージャ」と同様。
アイヌ語、川nay→naは起こりうる範囲。すると各地の地名「〜名」は「〜川」に遡る。
川名=川川、田名=田川、菊名=菊川(語義未詳)。上名=上川、中名=中川、下名=下川。
全国的に川をコ・ゴ・コウ・ゴウにも言う。なかんずく九州・四国・中国地方で顕著である。
河内(カフチ)→カワチ→コウチは説明しやすい。しかし「川(カハ)」が単独でコ・ゴ・コウ・ゴウへ変化するものか。コ・コウ・ゴ・ゴウは川の原始語と考える。
多摩川は別名 六郷川(ロク・ゴウ・カワ)、島根県の江川(ゴウ・カワ)などもこの類であろう。
以下に徳之島・奄美大島・屋久島・種子島・黒島の例を挙げる。鹿児島本土は現在集計中。すべて『日本全河川ルーツ大辞典(S.54/5/15初版発行)』による。
1.徳之島 13中12=92.3% (井之川〈いのう〉は除く)
港川(みなと・ゴウ)、万田川(まんだ・ゴウ)、下田川(しもちゃ・ゴウ)、麦田川(むぎちゃ・ゴウ)、井之川(いのう)、亀徳川(かめとく・ゴウ)、大瀬川(おおせ・ゴウ)、鹿浦川(しきゃうら・ゴウ)、阿権川(あ・ごん・ゴウ)、上成川(うわなる・ゴウ)、秋利神川(あきじゃん・ゴウ)、真瀬名川(ませな・ゴウ)、湾屋川(わんにゃ川)、港川(みなと・ゴウ)
2.奄美大島 34中34=100%
金久田川(かねくだ・ゴ)、川内川(コ・ち・ゴウ)住用川(すみよう・ゴ)、山間川(やんま・ゴ)、戸玉川(とだま・ゴ)、三儀山川(さんぎゃま・ゴ)、大川(ふう・ゴ)山田川(やまだ・ゴ)、佐仁川(さに・ゴ)、嘉徳川(かとく・ゴ)、役勝川(やくがち・ゴウ)、興福地川(こうふくじ・ゴウ)、阿木名川(あきな・ゴ)、名音川(のん・ゴ)、大棚川(ふう・たな・ゴ)、大和川(やまと・ゴウ)、三田川(さんた・ゴウ)、知名瀬川(ちなぜ・ゴ)、小宿大川(こしゅく・ふう・ゴ)、前田川(まえだ・ゴ)、大美川(ふう・び・ゴウ)、中勝川(なかがち・ゴ)、戸口川(とぐち・ゴ)、田雲川(たくも・ゴ)、浦上川(うらかみ・ゴ)、有屋川(ありや・ゴ)、秋名川(あぎな・ゴ)、芦花部川(あしけぶ・ゴ)、嘉渡川(かど・ゴウ)、大良川(おおら・ゴウ)、内川(かわち・ゴウ)、小勝川(こがち・ゴウ)、朝戸川(あさと・ゴ)、屋仁川(やん・ゴ)。
3.屋久島 27中5=18.5%
大川(おお・コウ)、泊川(とまい・ゴ)、鯛ノ川(たいの・コ)、竹女護川(たけめ・ゴ・川)、志戸子川(しと・ゴ・川)、※小楊子川(こよう・ジ・川)は「こよう・ゴ川」の可能性あり。
全河川名は下記。そのうち、ゴ・コウに読むもの、コ・ゴ川は上記5例。
志戸子川(しと・ゴ・川)、泊川(とまい・ゴ)、宮之浦川(みやのうら川)、白谷川(しらたに川)、城之川(しろの川)、椨川(たぶ川)、男川(おとこ川)、女川(おんな川)、落川(おとす川)、田代川(たしろ川)、安房川(あんぼう川)、竹女護川(たけめ・ゴ・川)、中瀬川(なかせ川)、小田汲川(おだくみ川)、鯛ノ川(たいの・コ)、二又川(ふたまた川)、湯川(ゆ川)、仲間川(なかま川)、黒味川(くろみ川)、小楊子川(こよう・ジ・川)、大川(おお・コウ)、瀬切川(せぎれ川)、岳之川(たけの川)、永田川(ながた川)、土面川(どめん川)、吉田川(よしだ川)、一湊川(いっそう川)
4.種子島 22中5=22.7%
浅川川(あざ・コウ・川)、川脇川(コウ・わき川)、郡川(こうり・ゴウ)、鹿鳴川(しかなき・ゴウ)、甲女川(こうめ・ゴウ)
西京川(さいきょう川)、安納川(あのう川)、浅川川(あざ・コウ・川)、川脇川(コウ・わき川)、大川田川(おおかわだ川)、早稲田川(わせだ川)、向井川(むかい川)、沸川(たぎり川)、阿嶽川(あだけ川)、大浦川(おおうら川)、阿武鋤川(あぶすき川)、宮瀬川(みやせ川)、郡川(こうり・ゴウ)、鹿鳴川(しかなき・ゴウ)、島間川(しまま川)、塚川(つか川)、谷切川(たにきり川)、苦浜川(くはま川)、阿高磯川(あだかいそ川)、大渡瀬川(おおわたぜ川)、上石寺川(かみいしでら川)、甲女川(こうめ・ゴウ)
5.黒島 2中1=50% イノクチ川は「イノ口」川の可能性あるため除外。
イノクチ川(いのくち川)、宮向川(みや・ムカイ・川)土地の人は宮古川とも言う。中里川(なかざと川)